ごまめがかわいい

だから今日も平和。


ごまめもかわいいし嵐もかわいい。
自分がこんなにもごまめとか嵐とかに癒されて力が漲るのは、自分のそういうまっすぐなものへの憧れが人一倍強いからじゃないかと思い始めている。
まっすぐというのは、嵐のアイドルとしてぶれがない、とか、きらきらに嘘がない、とか、ごまめの「ただ寝て、おきて、ご飯を食べて、たまにじゃれる」という迷いなく生きている感じ。(嵐のアイドルとして、ではない部分、普通の人、としての部分がどうとかじゃなくてね、アイドルとしての部分。そりゃ人としてだったらいろいろあるだろうから。)
自分は、おなかのなかではぐるぐると黒いものうずまいていたり、ものすごく冷たかったり、すぐぶれたり、すぐしんどくなったりするので、そういうまっすぐな、健全なものへの憧れがあるのです。
だから、嵐を見て、「いいなあ、ちゃんときらきらしていて、かわいいなあ」って思ったり、ごまめがただ生きることを全うしている感じとかを見てすごく安心する。そのほかの可愛い人、ものに関してもそうです。そういうまっすぐさ健全さに救われて、頑張ろうって思える。圧倒的に前向きで強い。そういうものがちゃんとこの世にあることを確認して安心する感じ。



結局何が言いたいかというと「かわいいは正義」だということです。