真夜中のひとりごと

ずっと家にとじこもったまま、年を重ねて、今年になって、わたしのいる施設に入所されたおじいさんがいらっしゃいます。
知的障害をお持ちで、言葉が出せない人なんだけども、入所した当初は、表情も固くて、イスから一歩も動かないような感じだったのが、徐々に徐々に、表情が出てきていて。

最近では笑顔も頻繁に出てくるようになったし、いつも皆で一緒に歌ったり踊ったりしていたら、今日、口を開けて、声を出そうとしてくれた。
前は、体操でもめちゃくちゃな動きだったのが、わたしの真似がちょっとずつできるようになって、的確な動きに少しずつ近づいてきてる。それが嬉しくて、わたしが言葉かけすると、その人は照れて、でもやっぱり嬉しいみたいでまた頑張って手足を動かそうとする、声を出そうとする。
何か、もう、毎日自分の人生に対してとても一生懸命で、純粋でひたむきで、その人を見るたびにわたしは幸せになります。
この人が人生の最後を過ごす場所でわたしが関われて幸せだなあと思います。
その人は毎日、施設内の廊下をぐるぐる歩き回って、そのたび職員に声をかけられるのが嬉しくて、ついつい何周も歩きます。
ちゃんと何が嬉しいことか、大事なことか、わかっている。それを大切に大切にしながら毎日全うに生きている。
この人見てると、Coccoの「ジュゴンの見える丘」の

悲しみはいらない
やさしい歌だけでいい
あなたに降り注ぐ全てが
正しい優しいであれ

という歌詞がすごく当てはまって、何かもう胸がいっぱいになります。何か、ほんとに今いる場所では、もう悲しい思いをせずに、毎日楽しみを持って、人生最後の時間を過ごして欲しいと思います。本当に、幸せな最期が作れるように、わたしはそういうお手伝いをさせてもらっているので、ああ文句ばっかり言わずに一生懸命にならないといけないな、と思ったりしたのでした。
今日、声を出そうとしてくれたのが嬉しくて、記念に記します。何か純粋さって人を救うよ。ほんとに。大好き。